武徳智天居士です。

今回は日本の仏教で行われている中でも最も厳しいといわれる荒行、12年籠山行についてまとめました。

これまでのあらすじ


日本仏教の最重要施設、比叡山延暦寺を見学した武徳智天居士と茜光院釋尼優知(記事はコチラ)。
そこでは数々の荒行が行われていることを知り、またその荒行を目の当たりにし、不遜にも「カルトじゃん、ヤベえよ」と思ったのでした。

どうしてそんなことをするのか、誰がそんなことをするのか、強制なのか立候補制なのか、死なないのか、何が得られるのか、等々疑問が尽きなかったので12年籠山行の達成者が書いた本を買ったり色々調べてたりしてみました。

本には色々書いてあった


本には比叡山の歴史を紐解きながら荒行が誕生した背景が説明されています。もちろん、荒行中の苦難や心境も綴られていますし、修業によって得られたことも書かれています。また、これを読むと出家したくなるので注意が必要です。




比叡山の歴史


まずは簡単に比叡山の歴史について触れておきましょう。

延暦寺は国家をリードする優れた人材を育てることを目的に、最澄によって比叡山に立てられたお寺です。そして最澄は修行僧に対し、山家学生式という規範を定めました。この山家学生式の中には「比叡山でお坊さんになった者は12年の間、山に籠って厳しい修行を積まなければならない。」と書かれています。

当時のお坊さんなんてのは国家試験によって選ばれたエリートでした。今でいう官僚みたいなもんですね。彼らは人々を感化して正しい道に導くという使命があるため、厳しい修行に取り組んで人々に尊敬されるような徳の高い人間になる必要があると最澄は考えました。で、徳の高い人になるために必要な期間が12年なんだそうです。

最澄曰く、「最下鈍の者でも、十二年間一つのことを行えば必ず一験を得る(ザコでも12年修行を続ければなんか身につくよ)」

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しかし、この12年制度も平安後期から乱れ始めます。夜な夜な修行僧が山を降りて京都まで遊びに行くようになりました。鎌倉時代に復興活動が起こるもすぐにまた堕落してしまいます。そんなこんなで戦国時代を迎えると今度は織田信長とかいう分からず屋に焼き討ちにあってしまいました。これによって延暦寺や日吉大社はほぼ壊滅状態に。

その後、分からず屋が本能寺の変で世を去ると比叡山の復興と12年籠山行制度復活の機運が高まってきます。そして、徳川家康の側近として知られる天海大僧正の力によって比叡山が復活し、妙立慈山らによって緩んでいた戒律も見直され、12年籠山行が復活しました。この時に最澄の御廟(ゴビョウ、お墓的な場所)のある浄土院と12年籠山制度が結びつけられ、ここから出ちゃいかんということで今の12年籠山行ができました。

本来、12年籠山行は比叡山の山上から出なければそれで良かったのですが、御廟を守るため浄土院に修行場所が限定され、これにより12年籠山行の難易度が急上昇したのですね。

御廟
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好相行


そんな誰得の修行ですが、誰でもできるわけではありません。12年籠山行に入る資格を得るには事前テストをクリアしなければなりません。それが好相行(コウソウギョウ)と呼ばれる行です。好相とは、32相、80種好あるとされる仏・菩薩の姿のことで、この姿を感得するための行が好相行なのです。

浄土院に祀られている最澄は死んだとは考えられておらず、その魂は生き続けているとされています。この最澄の魂に仕えるため好相行によって心を清める必要があるとのことです。

好相行は、浄土院の正面にあるお堂の隅にて行われます。行中は白い幕が張られ、明かりはろうそくの火のみです。そこで焼香をして、花を献じて、鐘を2回鳴らして「ナームー、XXX(仏の名前)」と唱えて、立ち上がっては座り丁寧な五体投地(両手両足そして額を床につけて拝むこと)で礼拝します。また、この行中は眠ることが許されません。

浄土院
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目の前に仏リストがあるのでそこに書かれている三千の仏をこの方式で一日中礼拝します。しかし、三千仏を拝めば終わりというわけではなく早く終わればまたイチからスタートしますし、一日で三千回できなくても即終了というわけではないそうです。

で、この修行をいつまでやれば良いのかというと、目の前に仏が現れるまでだそうです。「ホトケ、、見えたぜ!」と言ってもその後に確認会があり、先達のお坊さん達に報告した仏の姿が偽物と判断されればダメです。
とは言いながらも大体3-4ヶ月で終わるとされているこの修行ですが、この本の著者の宮本祖豊氏は仏の姿を見るために二度のドクターストップを挟みながら3年を費やしたといいます。
また、この好相行には「ホトケ見えなかったからやっぱヤメるわ」というのは許されず、仏が見えるか死ぬまで続けなくてはなりません。

まだ12年籠山行の事前テストなのにこの厳しさ。その辺のカルト宗教が可愛く見えてきます。


12年籠山行


さて、ようやく12年籠山行の説明です。まずは基本ルール。
籠山中は浄土院の門外には一歩たりとも出てはいけません。外の人と接触することもなく、病気になっても医者に診てもらえません。たとえ肉親が死んでも山を降りることはできませんし、テレビ・ラジオ・新聞等も見ることはできません。一日のスケジュールは決められており、朝晩のお勤めから3時間の庭掃除などを行います。食事は1日2食の精進料理です。

2017年現在、過去に117人が挑戦し、81人(約7割)が満行しています。残りは病死もしくは行方不明だそうです。この厳しさゆえに12年籠山行の挑戦者は10年か20年に一人しか現れないそうです。
そして、"12年"籠山行と言いながらも前任者は次の挑戦者が出て来なければ15年でも20年でもやらなければなりません。

これは個人的な意見ですが、修行することが主目的なんだから最澄の墓なんてほっといて12年経ったら後任がいなくても行を終えれば良いのにとか思っちゃいます。

境内
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では、12年籠山行の一日を見てみましょう。
3:30 起床・お勤め準備
4:00 お勤め
5:00 最澄にご飯を持ってく、朝食、阿弥陀像の供養、読経、国家安泰・天皇安泰の祈祷
10:00 最澄にご飯を持ってく、
10:30 昼食(ここから18時間は何も食べない)
12:00 掃除(塵一つ、落ち葉一つ、新芽一つも許されない)
15:00 お勤め準備
16:00 お勤め
17:00 閉門、仏教の勉強、座禅、読経、写経など
22:00 就寝

こんな感じ。これを12年。

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番外編:千日回峰行


12年籠山行と並び二大難行とされている千日回峰行についても触れておきます。

比叡山では、7年かけて山登りをする行を千日回峰行といいます。最初の3年は年に100日ずつ、4-5年目は200日、9日間の堂入りを挟んで6年目は100日、7年目に200日の全長約50kmの山登りです。

山登りのルートや詳細な取り決めについては宗派によって違いがあります。千日回峰行満行者として昨今最も有名な塩沼亮潤氏は金剛峯寺にて行を修めたため、今回紹介する方法とは違う修行を修めています。

また、この9日間の堂入りは四無行と呼ばれており、この期間中は寝ない・横にならない・食べない・飲まない、で御経を唱え続けるという鬼畜っぷり。一説によるとこの9日間の修行で生存率50%だそうです。

また、千日回峰行中はもちろん一日たりとも休むことが許されず身体の不調があっても医者にも診てもらえません。そりゃ死にます。



おわりに


比叡山、ヤバいっすね!
こちらの本にはさらに修行の詳細や修行を通して得られるものなどが書かれています。気になった人は読んでみてください。



それでは、良い宗教ライフを!!