今回は宗教団体が敬遠される理由について考えたいと思います。
また、断っておきますが、私は宗教が大好きです。誤解を解くためにも、宗教がカッコイイ3つの理由(執筆中)も合わせてお読みいただければ幸いです。 

無駄に厳しい

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厳しいです。断食したり特定のものを食べなかったり暴力を振るわれたり牛の尿を頭からかぶったりするのを見るとなんだか難しそうです入信する気になれないと思います。 また、入信するための試験があるという宗教もあります。 日本人はクールぶっている人種なので、こういう無駄に厳しいことに励んでいる人達をダサいと思ってしまいます
しかし、各宗教の厳しい行いにはそれぞれ理由があります。今回は代表的な食事制限について考えていきましょう。

食事制限が厳しい

イスラム教徒が豚肉を食べないのは有名な話ですが、他にも色々あるようです。簡単にまとめましたので以下の表をご覧ください。

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仏教
仏教が誕生した当初は実は食事制限などなかったのですが、教えが広まるにつれて制限が課せられるようになりました。
例えば、仏教が中国に伝来した際、肉食は禁じられました。また、彼らは虫も殺したくないため畑作業が禁止されていた時代もあります。
今では熱心に戒律を守っているお坊さんなんて日本にはごく少数ですが、一応ダメということになっています。AKBの恋愛禁止みたいなもんですね。

ユダヤ教
レビ記によると、「肉球を持つ4足動物」「4足で地を這う動物」「一度飲み込んだ食べ物を口の中に戻して咀嚼しない動物」「ひづめが完全に割れていない動物」「ヒレ/ウロコを持たない水中生物」などが禁止されているようです。すごく細かいですね。ルールを覚えるより、食べてよいモノ/ダメなモノを覚えたほうがてっとり早そうです。

イスラム教
豚は不浄な生き物なのでNG。また、豚を揚げた油で調理した野菜とかもNG。ゼラチンも豚からできているので医薬品のカプセルやゲルもNG。豚を調理した包丁まな板を使いまわすのもNG。
あとはアルコールもNGです。消毒用もNGですし、醤油なんかも製造過程でアルコールが発生するのでNG判定!!
牛や鶏はいいのかというと、適切な殺し方をしていなければNGです。

キリスト教
最強です。多少の例外はありますが、基本的に何食っても飲んでもオッケー。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は実は同じ神を崇めているのですが、解釈でここまで生活スタイルに違いが出るのは面白いですね。神そのものよりも人々の神に対する捉え方に宗教の本質があるということがよくわかります。人は自分に都合の良い神しか信じないものです。つまり不自由そうに見えて彼らは実は本質的には自由なのです。そう、ダサくないのです。

ヒンズー教
もう何食ってんですかね。

対価が抽象的

宗教に熱心に入れ込むと何が得られるのでしょうか。その辺の信者に聞くと、「魂が救済される」「地獄に落ちないで済む」「神に感謝できる」などの答えが返ってきます。いずれも具体的な報酬ではないので我々は彼らの活動を無駄な行い(=ダサい)と思ってしまいます。

しかし、本当にそれらのご利益は無意味なのでしょうか? 確かに我々が努力するときは、お金の為、楽しみの為、異性の為など分かりやすい目的があります。しかし、もう一歩踏み込んでそれらの本当の目的は何かと考えていくと、彼らの目的とそんなに変わらないことが分かります。

例えば、お金の為に何か資格の勉強をするとします。何故お金が欲しいかというと好きなことに使うため、もしくは楽な生活を送るためです。
何故好きなことをしたい、楽な生活を送りたいのかというと、脳が気持ち良くなりたいからです。つまりドーパミンだのエンドルフィンだの快楽物質を垂れ流したいだけなのです。

イケメンと付き合いたいとか、カワイイ娘とセックスしたいとかで外見を整えるなどの努力をする場合でもつまるところの目的は脳内における快楽物質の垂れ流しです。 しかし、お金で買える快楽もカワイイ娘とのセックスも一時的な快楽しかもたらしません

では宗教の目的に戻りましょう。
魂の救済というのは詰まるところ自己の肯定です。 自己を肯定するということは常に「俺サイコー!」な状態になれると言うことです。 つまり脳内の快楽物質がいつでも出しまくれる状態になるのです。
これが達成されたなら我々愚民が行うような金も時間もかかって効果が一時的な努力などアホらしく思えるでしょう。 地獄に落ちないと信じることも神に感謝することもチョット考えてみると似たような状態になれることが分かります。 つまり宗教は信者に対して気持ち良くなるための設定を与えてくれるのです。

どうでしょう。サイコーじゃないでしょうか。むしろ無宗教の我々こそが愚かだということに気付けましたね。と言うわけで、本ブログを読んで勉強しましょう。

ターゲット層がダサい

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悪いビジネスというのは弱者をターゲットにするものです。つまり、社会的弱者(大きな悩みがある人など)や情報弱者からお金を巻き上げるのが常です。宗教も然りです。 そして、そんなことはわざわざココで書くまでもなく我々の共通認識となっています。

また、我々日本人は得をしたいというより、損をしたくないという心理が強く働くようです。そして損をする奴は弱者でダサいとも思っています。

つまり、「宗教に騙されるのは弱者で、宗教の信者なんてダサい人だらけなんだ」というイメージが日本には蔓延っています。
そしてこれが宗教がダサいという理由になります。

しかし本当にそうでしょうか。
大前提としての宗教は人を騙すものという認識が間違っているのではないでしょうか。悪い宗教団体ばかりではないのです。

まず、メディアの構造に問題があります。
我々が宗教に関する情報を目にするとき、だいたいそれは宗教が悪いことをしたときでしょう。宗教の良い行いなどメディアが取り上げたところで視聴率は稼げません。
これによって我々の宗教に関する認識がどんどん偏ってしまい、ついには、宗教イコール悪イコール信者ダサいイコール宗教ダサい、となるのです。

まずは良い宗教に目を向けてみましょう。意外と宗教は我々の生活に溶け込んでいます。お祭りや近所の神社・寺に足を運んで少し詳しい人に話を聞いてみましょう。
そのためにもまずはこのブログを信仰しましょう。

おわりに

宗教がダサい理由を列挙しましたが、よくよく考えてみるとそんなにダサいものでもなさそうです
ここまで言えば分かりますね、本ブログを信仰するのです

それでは、良い宗教ライフを!!